はんなり・・・

京都の美味しいお店、多目のページです。 「立ち呑み屋さん」から、「京懐石」まで。キャパの広さが自慢です。(笑) ^0^ でも、「飲み食い」だけじゃ淋しいので、好きな映画や音楽♪、愛しいニャン ^・・^ の話題もあり。 時折、「詮無い想い」も、一人ごちています。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 私が死んだら、鳥葬にしてほしい・・・。

亡き母のこと・・・

母と使った顔彩

 「使わない物は捨てないと・・・」と、某お方によく言われる。
 でも、なかなか母の想い出が残る物を処分できない。

 1年前に母が息絶えた日、わずかな時間で病院を出ねばならなかったため、ベッドの周りの私物を、私は急いでカバンに詰め込んだ。
 整理しながら詰める時間など無かったから、中身は何の脈略も無く、混在していたはずだ。

 そのカバンは、ずっと開ける勇気も無く、あの病院を想い出す物を目にもしたくなく、随分、永い間、部屋の片隅に無造作に置かれたままだった。

 母が着ていた洋服だって、たとえ大事に残しておいたとしても、自分が母の歳になったときに、いざ着るか?と言われれば、多分、袖を通すことはないだろう。

 ならば、今、処分すべきなのだろうな。
 独り身の私に急に何か起こったとしたら、母の想い出が残る品々も、第三者がただのゴミとして乱暴に処分してしまうのだから・・・。

 だから自分の手で愛情を持って処分すべきなのだ、と、その某お方にゆわれるのだ。耳にタコができるくらい。

 ええ、ごもっともでございます・・・でもね・・・困ったことに、なかなか捨てられないんだな、これが。


 引き出しの中から、顔彩が出てきた。
 以前、これで、絵手紙を書いてみたのだ。

 私がお休みの日以外、外の空気を吸うことも出来なかった母に何か楽しみを・・・と思い、あれやこれや、いろんなことを試してみた時期があった。

 でも残念ながら、母も私も絵の才能は無かった。
 絵手紙は習得できず、この顔彩も見ての通り、全ど減ってはいない。

 お見せできるほど上手くはないので、私が描いた絵手紙をここで披露するわけにはいかないのだが、その1枚には大きな美味しそうな桃の絵と共に、こんな言葉が書かれていた。

 『夏の桃 母と二人・・・』

 確か、一昨年の夏のことだと記憶している。

 いづれ、ひとりの夏を迎えることは重々、承知していたが、こんなに早く“その時”を迎えねばならないなんて、私は予想だにしなかった。

 そして、母と二人で過ごすなんでもない夏ひまわりが、どんなに幸せな時間であったかということも、私の想像を遥かに超えていた。

 「運が悪いのも寿命の内・・・」
 親戚のおじさんにそう言われたが、1年経った今も尚、そんな風にクールに割り切ることができないでいる私が居る。
 
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抱きしめられていたのは私の方でした・・・

 私は三人兄弟の末っ子である。
 それも上の兄弟とは随分、歳が離れている。
 親から見れば、幾つになっても、一番幼く、一番心配な存在だったのであろう。

 そんな私に向かって、晩年、母はよくこう口にした。

 「○○○は一番小さいのに、お母さんの面倒をみて可哀想に・・・。ごめんね」と。
 「○○○が居てくれるから、お母さんは生きていられるのよ・・・」
 などと、私が哀しくなってしまうほど、気弱なことも、母は時折、口にした。私なんて、“介護”と呼べるほど、大したことはしていなかったのに・・・。

 そしてその時の母の瞳は、いつだってあふれんばかりの涙を湛えていた。

 母の涙があふれてしまわぬように、ちょっと明るく、そしてなんでも無い風に応える私の口をついて出る言葉は、決まっていつもこうだった。

 「私はお母さんが好きやから側に居るだけやもん・・・クローバー

 そう言いながら、私は随分小さくなってしまった母の身体をそっと抱きしめて、背中をさすった。

 “お母さんが泣くようなことなんか、なんにもあらへん・・・。私はお母さんと一緒に居られることが幸せなんやもん・・・ドキドキ大

 それは嘘偽り無い私の素直な気持ちだった。
 私は誰よりも母が大切だった。

 だが、母が急死して1年という月日が流れ、私はようやっと気づいたのである。

 “私が母を抱きしめ、年老いた母を励ましていた・・・”
 それが私の大きな錯覚だったということに・・・。
  
 私が母を抱きしめていたのではなくて、この両の手で母の身体を包みながら、実のところ、私が母という存在に抱きしめられていたのだ。
 
 「私がずっと側に居るから、お母さんはなんにも心配せんでいいんよドキドキ大

 母の身体をそっと抱きしめ、母を励ましていたつもりが、逆に私の方が、母の愛情に抱きしめられていたのだ、ということに、最近になって気づいたのである。

 もう足元さえおぼつかなくなった母だけど、私のためなら自分の命すらなんの惜しげも無く投げ出してくれる。
 微塵も疑う余地の無い、全幅の信頼をおける無償の母の愛に、私はしっかり包まれていた。
 私が守っているはずの年老いた母に、私は逆に、しっかり守られていたのである。

 そのことに気づくのに、私は“1年”という時間を費やした。


 私にとって母に代わるような存在は、もうどこを探しても現れないことだけは限りなく真実に近いであろう。(それを今、証明できなくとも、私がこの世を去るときに、結果的に証明できることだろう・・・)

 “私には、もう甘えられる人はどこにも居ないのだ・・・”
 いい大人が情けないけれど、限りなく孤独だと思う瞬間に襲われる瞬間がある。

 私はこれから誰かを“愛おしいドキドキ小”と感じながら抱きしめることも、逆に真実の愛情を持って誰かに抱きしめられることも、もう一生無いのかもしれないな・・・最近、ぼんやりと・・・でも、とても確かにそんな風に思うことがある。

 
 
 

お盆が終わります・・・

 “生きとし生けるもの全て、死んだら土に還る”・・・とは言うものの、私はまだ母の骨を手元に置いているから、母の骨は土にさえ還っていない。

 生きている私の中で、死んでしまった母の魂は今も生きている。
 私が生き続けている限り、母の魂も生き続ける。

 でも実際は、1年前に母は息絶え、単なる物体と化し、焼き場で焼かれて骨になってしまった。それが現実。

 この世から消えてしまえば、痛みや苦しみは無く、寂しさや哀しみを感じることもない代わりに、喜びや幸せを感じることもない。

 “死んだら無”・・・この世の中には、嘘や誤魔化しが満ち溢れているけれど、それだけは真実だということはわかる。
 
 そう・・・私は、“母は無の世界に旅立ってしまった”と解しているのだから、“骨を手元(家)に置いておきたい”、“お墓の中に入れるなんてかわいそう”・・・などというこの感情は、辻褄が合わなくて滑稽極まりない。

 こうして、お盆の間、“暗いと母が可哀想・・・”などと、灯をともしていることすら、何の意味も無い事なのだろう。

 そんな切ない夏の3日間も、あっという間に過ぎてゆく・・・ヒヨコ

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初盆見舞い

 先日、親戚から届いた、母の「初盆 お見舞い」。

 「大内行灯」。
 岐阜が本場のようです。

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 箱の中身は2段になっています。

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 ゲゲッ・・・説明書を見ると、予想より複雑困った

 いつの頃からか、こういうものを読んで、何かを組み立てる、という作業が億劫になってしまいました。

 電器製品なんかにも疎いですショック

 だって、1年前、母の葬儀の際に、“邪魔だから”、と、親戚の男性がテレビテレビからビデオデッキを外してくれはったんですけど、その後、元通り接続するのが億劫で、とうとう、1年間、ビデオ見ませんでしたからね~、私落ち込み。。(DVDがあってもビデオテープに収めたものはダビングなんかしませんから、今まで録画したビデオテープはデッキを接続しないと観られないんですけど・・・)

 つい先日、母の法事で家に来てくれた親戚の男の子に、1年ぶりに接続してもらいました。(爆)

 だから、家の中に電器製品に長けた男性がいはるお家家って羨ましいです。

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 で、説明書を読まずに組み立てました拍手

 勘です、勘。
 “これは、ここに挿しこむんだろうなぁ~”って、予想で。(爆)

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 もしかしたら、どこか微妙に違った出来栄えになっているのかもしれませんが、多分、これで正解でせう。(笑)

 きれ~キラキラ
 母もきっと喜んでくれているかと・・・。
 親戚のおばさん、ありがとうハート

 ちなみに、お坊さんのおざぶに座っているのは、ハナ猫です。
 今、毛づくろい中です。

 今年、新しく買い換えたお坊様のお座布団。
 猫って、きれいな(清潔な)場所が好きですから、すぐにここに座りにきます。
 でも、お坊様公認なので大丈夫なのですにっこり

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不信感・・・

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