今日は4月26日。
早いもので、チェルノブイリ原発事故から、まる20年という月日が過ぎ経った。
1986年4月26日、旧ソ連ウクライナ共和国の北辺に位置するチェルノブイリ原発で原子力発電開発史上最悪の事故が発生した。
保守点検のため原子炉停止作業中であった4号炉が、急激な出力上昇をもたらし、爆発炎上した。原子炉とその建屋は一瞬のうちに破壊され、火災を起こし、大量の放射能が流れ出たのだ。
当初、旧ソレン政府はこの大惨事を隠そうとするも、如何せん、放射能は人間が勝手に引いた国境線など軽々と越え、他国の放射能検知器が異常を示し、発覚に至る。
広島型原爆の500個分とも言われる放射能は、北半球を汚染した。
数万人ともゆわれる死者の数だが、正確な数字はわからないようだ。そしてこれからも、被爆した人たちが亡くなってゆく・・・。
最近、中国から飛んでくる黄砂で、例に漏れず、我が家の車も洗濯物も被害を被っている。(笑)。
だが、放射能は色も無ければ臭いもつけられていないのだから、比べようもないくらい厄介で恐ろしいシロモノなのである。
たまにドライブに行く福井県は「原発銀座」と呼ばれるほどたくさんの原発がひしめきあっている。
どの地方も、財政難に追い込まれ、苦渋の選択で原発を誘致する。そしてその土地には“安全”と引き換えに、莫大なお金と、たくさんの就職口が舞い込む・・・。
昔、ブームにもなった広瀬隆氏の著書「東京に原発を!」。
皆さんもお読みになりましたか?
「チェルブイリの少年達」という本も印象深かったのを覚えています。興味のある方は、こちらのページでチェックしてみてください。
原発が本当に安全だと言うならば、人がたくさんいる大都会の近くに造ればいいのだ。
大量に消費される場所の近くで電気を造れば、効率もいいのだから・・・。でも、そんなことは決してしない。
私たちが払っている高い電気料金で制作されているCM。
「オール電化、オール電化・・・」呪文のように繰り返し垂れ流されるCM数は尋常ではなく、私は時折、洗脳されているような気分に陥ることがある。まるで、「電気が余ったら大変・・・」と焦っているようにも思えてくるほどだ。
そしてとうとう、青森県の六ケ所村では、先月31日から、再処理工場で試運転を開始した。原爆をも造れてしまうプルトニウムを抽出しているのだ。(プルトニウム1キロで核爆弾製造可能)
原子力発電というのは、何も無いところからまるで魔法の如く電気を生み出すかのような幻想を我々に与えるのだが、そのリスクは計り知れない。
ただ、原子力に関わって生活している人たちは、“今更、引き返せない・・・”っていうのが本音だろうが・・・。(苦笑)
気が遠くなるほどの時間を費やしても消えることなく自然界を蝕む放射能。
増えていく核燃料廃棄物・・・未来の人間達は、目先の欲だけに走った、現在(いま)の時代を生きる我々を、心底、怨むことだろう。
先ほど、興味深いページを見つけた。
台湾政府が、ヤミ族の島、蘭嶼(ランユー)島の裏側で核燃料廃棄物を処分している実態が書かれている。ぜひ、皆さんもご一読を・・・。そのページはこちら。
まぁ、私はあと50年もしないうちにこの地球上から消えてなくなってるだろうし、子供もいないから、私の死後、死ぬほど心配するような人も居ない。
50年くらいは、騙し騙し、なんとかもつような気もするから、私が躍起になってこんな記事を書くこともないか・・・。(苦笑)
でも、少なくとも、子供のいる人たちが、こんな命の綱渡り的な選択に対して無関心でいられるのは理解し難い。
今までから、この日本でもたくさんの事故が起こっている。
人間の手によって行われることも、機械がやることも、100%間違いは無いなどとは、誰にも保証できない。
そして、再び、大惨事が起こったとしても誰も責任などとってはくれないのだ。いや、誰にも責任などとれっこないのだ。
ならば、別の選択肢を模索するのが、賢明な人間のすることではなかろうか。
闇雲に突っ走っていったその未来に、どんなカードが隠されているのだろう?
豊かで便利な生活。
確かに、今の我々がそれを全て手放すことはできないだろう。
でも、それにしても私たちの生活は、随分と無駄に電気を使っているとは思いませんか
命と引き換えにしてまで豊かな生活を望む人なんて居ない・・・漠然と・・・しかし確信を持って、私はそう思うのだ。
早いもので、チェルノブイリ原発事故から、まる20年という月日が過ぎ経った。
1986年4月26日、旧ソ連ウクライナ共和国の北辺に位置するチェルノブイリ原発で原子力発電開発史上最悪の事故が発生した。
保守点検のため原子炉停止作業中であった4号炉が、急激な出力上昇をもたらし、爆発炎上した。原子炉とその建屋は一瞬のうちに破壊され、火災を起こし、大量の放射能が流れ出たのだ。
当初、旧ソレン政府はこの大惨事を隠そうとするも、如何せん、放射能は人間が勝手に引いた国境線など軽々と越え、他国の放射能検知器が異常を示し、発覚に至る。
広島型原爆の500個分とも言われる放射能は、北半球を汚染した。
数万人ともゆわれる死者の数だが、正確な数字はわからないようだ。そしてこれからも、被爆した人たちが亡くなってゆく・・・。
最近、中国から飛んでくる黄砂で、例に漏れず、我が家の車も洗濯物も被害を被っている。(笑)。
だが、放射能は色も無ければ臭いもつけられていないのだから、比べようもないくらい厄介で恐ろしいシロモノなのである。
たまにドライブに行く福井県は「原発銀座」と呼ばれるほどたくさんの原発がひしめきあっている。
どの地方も、財政難に追い込まれ、苦渋の選択で原発を誘致する。そしてその土地には“安全”と引き換えに、莫大なお金と、たくさんの就職口が舞い込む・・・。
昔、ブームにもなった広瀬隆氏の著書「東京に原発を!」。
皆さんもお読みになりましたか?
「チェルブイリの少年達」という本も印象深かったのを覚えています。興味のある方は、こちらのページでチェックしてみてください。
原発が本当に安全だと言うならば、人がたくさんいる大都会の近くに造ればいいのだ。
大量に消費される場所の近くで電気を造れば、効率もいいのだから・・・。でも、そんなことは決してしない。
私たちが払っている高い電気料金で制作されているCM。
「オール電化、オール電化・・・」呪文のように繰り返し垂れ流されるCM数は尋常ではなく、私は時折、洗脳されているような気分に陥ることがある。まるで、「電気が余ったら大変・・・」と焦っているようにも思えてくるほどだ。
そしてとうとう、青森県の六ケ所村では、先月31日から、再処理工場で試運転を開始した。原爆をも造れてしまうプルトニウムを抽出しているのだ。(プルトニウム1キロで核爆弾製造可能)
原子力発電というのは、何も無いところからまるで魔法の如く電気を生み出すかのような幻想を我々に与えるのだが、そのリスクは計り知れない。
ただ、原子力に関わって生活している人たちは、“今更、引き返せない・・・”っていうのが本音だろうが・・・。(苦笑)
気が遠くなるほどの時間を費やしても消えることなく自然界を蝕む放射能。
増えていく核燃料廃棄物・・・未来の人間達は、目先の欲だけに走った、現在(いま)の時代を生きる我々を、心底、怨むことだろう。
先ほど、興味深いページを見つけた。
台湾政府が、ヤミ族の島、蘭嶼(ランユー)島の裏側で核燃料廃棄物を処分している実態が書かれている。ぜひ、皆さんもご一読を・・・。そのページはこちら。
まぁ、私はあと50年もしないうちにこの地球上から消えてなくなってるだろうし、子供もいないから、私の死後、死ぬほど心配するような人も居ない。
50年くらいは、騙し騙し、なんとかもつような気もするから、私が躍起になってこんな記事を書くこともないか・・・。(苦笑)
でも、少なくとも、子供のいる人たちが、こんな命の綱渡り的な選択に対して無関心でいられるのは理解し難い。
今までから、この日本でもたくさんの事故が起こっている。
人間の手によって行われることも、機械がやることも、100%間違いは無いなどとは、誰にも保証できない。
そして、再び、大惨事が起こったとしても誰も責任などとってはくれないのだ。いや、誰にも責任などとれっこないのだ。
ならば、別の選択肢を模索するのが、賢明な人間のすることではなかろうか。
闇雲に突っ走っていったその未来に、どんなカードが隠されているのだろう?
豊かで便利な生活。
確かに、今の我々がそれを全て手放すことはできないだろう。
でも、それにしても私たちの生活は、随分と無駄に電気を使っているとは思いませんか
命と引き換えにしてまで豊かな生活を望む人なんて居ない・・・漠然と・・・しかし確信を持って、私はそう思うのだ。