花我、忘却の動物也。
 ここに愛しき命の覚書を記す花


 初めて読んでくださる方は、今までの経過、その1クローバーその2クローバーその3クローバーその4クローバーその5を時系列でお目通しくださった上で、この記事を読んでくださるとうれしいですヒヨコ

 
 8月3日、お昼近く、激しい痙攣(けいれん)を起こした家猫猫クゥーはその直後から、呼吸が荒くなる。

 すぐに動物病院の医師に電話で相談。

 話し合った結果、「これ以上、病院に連れてゆき、延命治療を施すことは、クゥーにとって決して幸せなことではない」と判断し、家で看取ることを決心する。

 医師からは、「今日か明日が山場です」とゆわれる。

 とにかく最期の最期、死にゆく瞬間、必ず私が側に居て、クゥーの名前を呼び、身体をさすり、死んでゆくことは怖いことじゃない、私はここにいる、と伝えたいドキドキ大
 寂しい想いをさせて死なせることだけはしたくない。

 喉が渇くだろうから、水だけはとらせてやらないと・・・。
 もう抱き起こすことすら、クゥーにとってはしんどいことだろうから、横になったまま、水のしたたるガーゼで口の中と周りを湿らせてあげる。何度も何度も・・・。 

 クゥーは時折、犬のように口を開け、舌を出し、ハァハァと苦しそうに息をしていた。よほど、苦しいのだろう。
 17年、一緒に生活してきて、そんな姿を私は初めて目にした。

 それでも、クゥーは夜を迎えることができた。
 頑張って生き続けた。
 最期の命の灯をともして・・・。

 だが、“その瞬間”は、突然やってくる。

 寂しくないようにつけていたテレビでは「SMAP×SMAP」が終わろうかという時刻だった。

 それまでずっと動くことなく、横になったままだったクゥーが、少し苦しそうな搾り出すような声を挙げ、今まで動かさなかった手足を、まるで“伸び”でもするかのように、足を突っぱね、手を突っぱね、ゆっくりゆっくりもがき始めたのだ。

“もう、あかんのや・・・”
 そう、直感した。

 「クゥーちゃん!クゥーちゃん!クゥーちゃん!・・・」 

 私はクゥーの身体に手を当て、名前を呼び続けた。 
 そしてその私の震える声は、次第に大きくなっていった。
 手の届かない遠くに行ってしまうクゥーを引き止めようと、私は必死で叫び続けた。

 一人で、愛猫の死を受け止めなければない辛さ・・・身体は震え、胸は張り裂けそうだった。誰かに側に居て欲しかった。助けて欲しかった。

 でも、母がいなくて良かった。
 大切にしていたクゥーが苦しみながら死んでゆくところなど、母には絶対、見せたくなかったから・・・。


 最期の最期、クゥーは少量の尿を垂れ流し、ちょっと苦しそうに口から胃液を吐いた後、静かに、静かに、徐々に動かなくなっていった。

 “ああ、今まさに、クゥーの命が尽きるのだ・・・”

 そう思った。

 もう、誰の、どんな力を持ってしても止めることなどできない・・・今、1匹の猫の命が消える・・・今、こうしている間にも、1秒1秒、確実にクゥーは死んでゆくのだ。

 「嫌や!死なんといて!」と、私がここでどんなにわめき散らそうが、無力なのだ。もうどうすることもできない・・・。
 
 私の心の中に、何がどうなろうと抗えない“諦め”という暗黒の帳が下りてきた。


 猫の瞳は真ん中に光を受けて大きさの変わる黒目が特徴だが、命尽きる時の猫は、白目と黒目の境目が無くなる。

 今まで、たくさんの猫たちの死に関わった。
 でも、こうやって私が看取ってやれた猫は、ほんのわずかだ。
 数年前、私は、今と同じように、命尽きるときの猫の美しい瞳を目のあたりにしたことがある。
 
 大きなまぁるい猫の瞳全てが、深い深い湖のような、青とも緑ともつかない不思議な輝きを放った色になるのだ。

 じっと見ていると、黄泉の世界に吸い込まれそうになる。
 そして、その瞳は、もう命を宿してはいない・・・。

 クゥーちゃんはとうとう死んでしまった・・・。

 それからクゥーは、少しづつ少しづつ、体温が下がり、剥製のように硬い静物になっていった。
 きれいに身体を拭いて、新しいタオルにくるんであげる。

 「よぉ、頑張ったなぁ、クゥーちゃん・・・」
 「次に生まれてきても、私と(私の)お母さんのとこにおいでや悲しい

 もう届かない言葉を、私はいっぱいいっぱい死体と化したクゥーに語りかけた。

 クゥーは夜遅くまで私と一緒に過ごした後、子供の猫と一緒に住んでいた隣の部屋に戻してあげた。
 クゥーが17年、生活した部屋。
 そこが、一番、落ち着くはずやから、“今晩は、そこで寝ぇや”。


 明けて4日の朝、目が覚める。

 “そうや・・・クゥーちゃんは夕べ、死んだんやった・・・”

 ぼんやりした頭で、その辛い現実を想い出し、私はすぐにクゥーの元へ。
 重い気分で、クゥーが眠る部屋のドアを開ける。
 すると、そこには私の予想もしない光景があった。 

 クゥーを寝かせておいたところに、子供の猫が一緒に寝ているのだ。
 それも母猫のクゥーを、かばうように、抱きかかえるように寄り添って・・・。

 正直、驚いた。
 寒い冬の時期でない限り、寄り添って寝ていることなど、ここ何年も無かったからだ。

 見ていると、子供の猫は、母親のクゥーに何度も何度も、身体をスリスリさせて甘えている。

 もう、冷たいでしょ?
 お母さんは硬くなってるでしょ?
 その身体から、鼓動は伝わってこないでしょう?

 子供の猫は、自分の母親が死んでしまったことを理解しているのだろうか・・・?
 知っていて、母猫の側を離れまい、としているのだろうか・・・?
 
 それは、私にとって、哀しくもあり、深い愛情を感じる光景でもあった。

 少し迷ったけれど、写真に収めた。
 “忘れてしまいたくない”・・・忘却の動物である私は、そう結論を出した。

 
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