母が生前、入院していた病院に、九十八歳のおばあさんも入院していた。
 同じ病室に居た時期があったので、私はそのおばあさんや付き添っている娘さんとも仲が良かった笑顔

 明治生まれのおばあさんは娘さんの名前さえすぐに忘れてしまったけれど、“認知症”という言葉のイメージとは程遠く、とてもしっかりしていらした。
 たまにチグハグな受け答えをすることはあったものの、人と会話を交わすことは可能、なだけでなく、ウィットに富んだ言葉が口をついて出るので、おばあさんの周りにはいつも笑いが絶えなかったにっこり

 そのおばあさんは6月の末に他の病院に転移していった。
 有難い厚生省のお達しで、同じ病院には90日しか居られないため、老人を抱えた家族は、ボヘミアンのように病院を転々とせざるをえないのだ泣く。(環境が変化すると、認知症は更に進むそうだ)

 転移を聞かされたときに、私は「9月のおばあさんのお誕生日には、きっとお祝いに行きますね」と、おばあさんと娘さんに約束した。
 そして先月、私は約束通り、そのおばあさんが転移していった病院に出向いた。

 今は「個人情報保護法」があって、病院に電話しても入院患者のことは教えてはもらえない。そこに本当におばあさんが入院しているかは、実際に足を運んでみなければわからなかった。

 病院にたどり着き、少し不安を抱きつつ、ひとつづつ病室入り口のネームプレートを確認してゆく・・・。

 京都の街中にあるその病院は、小さいながらも外観はしっかりと病院に見えるのに、屋内は酷いものだった。
 “清潔感”が全く感じられない雑多な病室。
 冷房機器が壊れているらしく、天井の配管から漏れる水は床に置かれたバケツの中に溜められ、申し訳程度に扇風機が回っていた。

 前の病院も、“病院”というイメージには遠かったが、ここも酷いものだった。私の気持ちはどんどん暗くなっていった。

 “あった”
 そのおばあさんは確かに、その病院に入院していた。

 「○○子さん~音符」精一杯、明るい声でおばあさんの名前を呼ぶ。
 「はい!」おばあさんの表情がほころぶ。
 痴呆症の老人だって、自分の名前を呼ばれたら頭が働くのだ。
 名前って、ステキ。
 
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 勿論、おばあさんは私のことなど覚えてはいない。
 でも、同じ病室に居たころ、よくおばあさんと話をした。一緒に歌を歌った。だから、もしかしたら、私の声に聞き覚えがあったかもしれない・・・と、ちょっと期待してみる。(笑)

 おばあさんは、以前にも増してお元気そうで、私との会話もスムーズだった。私はホっとしたり、死んでしまった母のことを思うと、うらやましくなったり・・・。誰から見たって、私の母が一番、“死”から遠い存在であったはずなのだから・・・。

 暫く、おばあさんの側で付き添いの娘さんを待っていたのだが、事前に連絡もできなかったため、“待っていても今日は逢えないかもしれない”・・・。
 私は娘さんに逢うことは諦め、お誕生日のお祝いに・・・と買ってきたお菓子に、走り書きのメモを添えて帰ってきた。

 帰り際、私は、もう一人、同じ病院から転移してきたおばあさんのことも探してみた。そのおばあさんの名前は、その階から1階下の病室のネームプレートに確認できた。

 足を踏み入れて、私は軽いショックを受ける。
 そこは地上階であるはずなのに、陽の射さない地下室のようだった。
 天井は低く、窓があったのかどうかさえも覚えていない。

 6人の老人を詰め込むには、明らかにその部屋は狭過ぎた。
 とてもまともな神経を持った人間が暮らせるような空間ではなく、異様な感じさえする。

 そんな部屋に、自力では動くことができない老人たちは24時間ベッドに寝たっきりなのだ。そして老人たちは、こんな粗末な医療体制の病院を、転々と渡り歩くのだ。(大きな病院には入院させてもらえない)その多くは、死ぬまでずっと・・・。

 今のお年寄りの中には、“お国ために国旗”、と戦争に駆り出された人も多いことだろう。そして戦後の日本の発展を支えてきたのは、紛れも無く、今のお年寄り達だ。それなのに、この粗末な現状がこの国で生きる老人たちの末路なのか・・・。

 “アキバ系”をウリにしているどこかの総理大臣が、連日、ホテルのバーグラスで飲んでいることを非難されているが、貧乏な私でさえ、こんなにエンゲル係数の高い生活をしているのだから、(私は)人のことは言えない。

 彼らは大金を持っているのだから・・・生まれた時から贅沢な生活が当たり前なのだから、そんなことを非難しても仕方が無い。
 
 ただハッキリ言えることは、“財閥の御曹司の彼”、若しくは“彼ら(他の財力のある政治家)”にとって、今、この日本に住む老人たちが置かれている貧相な医療体制は、予想を超える粗末なものだということである。麻生さんが、あの病室を見たら、あまりのムゴサにめまいを覚えるだろう・・・と私は予想する。

 だが残念ながら、彼らはこれからも、“その現実”を目の当たりにすることはない。何故なら、彼らが生きる世界とは、あまりにもかけ離れている無縁の世界だから・・・。

 つまり、彼らに、“庶民の生活”を考える力など、コレッポチも無い。
 彼らは、“私たちの上に立つ政治家”には不向きなのかもしれない。申し訳ないけれど・・・。

 これからこの国が良い方向に進むという期待は、残念ながら薄い。
 将来、私が歳をとって、“退院が見込めない入院”を迫られたなら、家で独り、のたれ死ぬ道を選ぶことに決めた。