母と同じ病室に入院している七十過ぎのおばあさんは、時折、大きな声で女性の名を呼ぶ。

 「れいこ!れいこ!・・・」

 きっと娘さんの名前なのだろう。

 だが、そのおばあさんが入院してから、一週間経っても、二週間経っても、三週間経っても、とうとうひと月が経過しても、“れいこさん”らしき女性が病院に姿を現すことはなかった。

 きっと、遠くにお嫁に行った娘さんなのだろう。

 おばあさんは、何故か、私のことを気にいってくれて、昔の話を色々話してくれる。でも、そこにも“れいこん”らしき女性の話は出てこない。

 だが、或る日、付き添っているおばあさんの息子さんと話していたとき、私はふいに“れいこさん”の正体を聞かされる。
 
 “れいこさん”は、私の推測通り、おばあさんの娘さんだった。
 しかし、不運なことに、れいこさんは癌に侵され、すでに10数年前にこの世を去ったのだと言う。
 “れいこさん”は、この世には存在しなかった。

 大切な子供が親である自分より先に逝ってしまう・・・それはどんなにか辛い出来事であったろう。その心中は察するに余りある。

 24時間、おばあさんは鼻から酸素吸入を施されている。
 苦しい呼吸を続けながら、意識も朦朧とし、娘さんの名前を呼ぶのだろう。
 淋しくて哀しい呼び声は、今日も病室に空しく響く・・・。

 24時間、ベッドに横たわったまま、もう2度と起き上がることはないであろうお年寄りたちにも、それぞれの人生があった。
 そこには楽しいことも、哀しいことも、うれしいことも、辛いことも・・・たくさん詰まっていたのだということに思い及ぶ。

 毎日同じことの繰り返しの“入院生活”は、いつか“退院”という瞬間が待っているから耐えられるものなのかもしれない。

 死ぬまで続くそのおばあさんの入院生活の中で、楽しいことやうれしいことがひとつでもたくさんありますように・・・。